足袋〜消え行く日本の伝統技術  
 

江戸時代、第4代将軍徳川家綱が統治していたとき、武蔵国と下総国を渡る橋として両国橋は掛けられたという。現在の両国は、その橋の東岸、かつての下総国側の地区にあたる。その中心である両国駅から数分歩くと、大きな通り沿いに「喜久や足袋本舗」の大きな看板が見える。店のディスプレイには様々な足袋が飾られている。引き戸を開けると、ミシンなどの工具が並び、その奥にある畳の間の上に正座し、キリッとした姿勢で御誂(あつらえ)帳に書き物をしている人物こそが、代々の天皇家に足袋を納め、有名力士の足袋も手がけている、宝暦元年創業 両国喜久や足袋本舗 11代目 宮内梅治氏である。

日本の歴史の中で、現在の形の「靴」が履かれるようになったのは、つい最近百数十年のことである。それまで日本人は皆、いつも足袋を履いていた。残念ながら、現在、足袋を履く機会は殆どなく、普通に暮らしていれば、一生で足袋を履く機会は一度も訪れないだろう。「そうですね。確かに、今は足袋を履く人も、足袋屋自体も減ってしまいましたね。全国でも作っているのは、3件程度じゃないでしょうか」と宮内氏は語る。ここで「足袋を作る」というのは手作りのことである。

足袋には数千年の歴史があるそうである。もちろんその過程では進化を続けているので発明された当時と現在のものには随分と違いがあるだろう。ただ、現在、人の手で作られる足袋は「人間の健康を非常に良く考えられて作られている履物です。足袋は人間の足にもっともあった履物だと思いますよ」と宮内氏は言う。

「あなた、足見せてもらえますか」と宮内氏に尋ねられ、靴下を脱いで足を出すと、「あたなの足は、縦XXセンチ、幅XXセンチですね」と一目見ただけで言い当てた。「試しに図ってみましょうか」といって、特殊な物差で図ると、寸分のズレモなかった。「オーダーメードなんです。一人一人型を起こします。それで、足に合うように作るのですが、ミリ単位で調整するのです」と語る。

「御誂帳」と書かれた冊子には、宮内氏の顧客1人1人の足型と、その特徴などが細かく書き込まれている。宮内氏が作る足袋というのは、そうやって1人1人の足に合わせて作った贅沢な履物なのである。「本気で作るとすると全部手作りになるから、1日1足つくるのが精一杯でしょうか。でも、今は流れ作業でやっているから、5・6足は作ることができます」と語る。

喜久や足袋本舗は、代々、相撲力士や、天皇陛下と皇后含む天皇家などを顧客としてきた。「お客さんの足を把握していなければならないので、殆どが常連さんです」

力士や皇室の足を守ってきた技術は、それほど簡単なものではない。技術の習得には最低でも20年位かかるという。かつ、20年学んでも、その先に進めない人も多い。「良いものとお客さんが喜ぶものは違うのです。だから、お客さんに会わないものを作っても駄目なのです。感覚的に『なんとなく、会わない』ってお客様が言ってきます。履物はこれでも駄目なのです」

宮内氏は、机の上から1通の手紙を手に取り、語り始めた。「先代からは『良いものを作れ』と散々言われてきました。でも、良いものが儲かるかというと、それは別なのです。『良いもの』って何かと言うと、口で説明するのは難しいのですが、お客さんに残るものでしょうか。足袋は一足7千円くらいです。その値段でオーダーメードです。一人一人型を起こします。それで、足に合うように作るのですが、これが難しいのです。この手紙を見て下さい。普通、お客さんは、一足では注文しなのです。それで、5足位注文してきます。手作りなので、5足作ると非常に大変な作業です。それで、履いて、洗うと縮みますよね。それで、この手紙に『親指1ミリ、人差し指3ミリ、中指2ミリ・・・・詰めて下さい』って書いてあるのが分かりますか?それで、直して送り返すのです。でもそれでも、合うとは限らないのです。それで合わないと、また返品してくる。こっちも金貰う訳にもいかないので、返金します。大変な商売なのです。良いものをつくっても、合わないと駄目なのです。お客の足を良く見ることが大切ですね」

足の裏は人間の体形や健康を反映しているという。足袋には、その1人1人の足の裏にあったオーダーメードの良さがあるのだろう。しかし、その技術は取得が難しさと、上記のような商売上の難しさも手伝い、足袋屋の数は減ってしまった。宮内氏によると、終戦前は、東京で6000件の足袋屋があったそうである。

 


Photos by Urban Heritage Chronicle


喜久や足袋本舗11代目の宮内氏


一人一人の足型を記録してある紙。宮内氏は、
ひと目見れどんな人の足でも大体のサイズが
分かるという。


店には著名人や力士の足型が飾られている。
全て喜久や足袋本舗の顧客である。


 
 

また、現実問題として、ニーズの減少も大きい「相撲の力士だって全員がいつも履いているわけではないですよ。昔は双葉山、大鵬、今で言うと若乃花、貴乃花なんかもウチの客でした。でも今の力士は普段、普通の靴を履いていますよね。ウチには娘2人。嫁に行ったので息子はいません。旦那は継ぎません。だから、私が死ねば終わりです。もう商売になりません。だって、あなただって足袋なんか履かないでしょ?。天皇様も相撲取りも、座敷に出るときの何分間かだけだからね。先代からは『畳のあるうちは足袋は残る』って言われてきました。でも畳がないですよね」

「時代の流れに我々が沿っていないのかな、とも思います。というのは、必要でないものを作っているから潰れるのでしょう。足袋は昔は必要があった。例えば、洋品店なんか、昔は流行ったけど今はないでしょ。今必要じゃないと思うのです。どんなに流行っても、そのうち廃ります。でも必要があれば残りますね。コンビにの店にある商品も中身がどんどん変わるじゃないですか。早いですよね。あの速度ですから」

喜久や足袋本舗は宝暦元年に創業し、約290年間営業している。店は最初赤坂にあり、それから上野、浅草、と移り、100年程前から両国で営業している。両国には老舗と呼ばれる店が多いが、苦労している店も多いと聞く。「両国の他の老舗の方とはよく話しますよ。みんなで『守って行きたい』、『がんばってやろう』なんていうけど、難しいですよね。なんとかして文化を残したいですが、お客さん自身、我々の何が良いのか分からないのではないでしょうか」

足袋は材料が全て綿。従って通気性が良く、足の健康には大変良い。「また、指の股と股の間が空いているので、足の裏が敏感になります。足首まであるので疲れず、さらに足を敏感にして慣性をつけます。警察、軍隊、とび職の靴は皆深いですよね。あれは疲れずにどんな場所でも行けるように、あのようにしているのです。足袋も同じです。鳶職は足袋を履いているので、健康な人が多いですよ」

最近は健康に敏感な人が増え、足袋に対する認識も変わったという話も聞く。若者向けに足袋を扱う店も増えつつある。足袋を見直し、この技術が絶えないことを祈りたい。

 
     
 
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